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平成生まれが体感した激動の平成カルチャー史を振り返る

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新元号が『令和』に決まり、平成も終わろうとしている。

平成生まれとして自分が生きた時代の終焉を受け止めることは中々難しい。

 

平成は様々な技術が生まれては散っていった時代。バブルがはじけて失われた○年と言われ経済が停滞したとも言われている。

 

しかし、平成は様々なカルチャーが誕生した。

消えることなく一つの文化として受容されたものもあれば、ノスタルジーの一部となったものなど多種多様。

特にサブカルと呼ばれるものは世界的ヒット作になったものもある。

 

今回はそんなカルチャー史に焦点を当てた回顧録。

なおサブカル成分多め。

 

なるべく時代が古い順に記している。

「あ~あったなあ」と思ってくれれば幸いだ。

 

 

90年代 平成初期

この時代は様々なカルチャーが生まれた。

生き残ったカルチャーの中には世界的なものへと成長したものも多く、全く知らないバブル時代よりもサブカルは急成長を遂げた時代だと感じている。

 

そんな平成初期をまず振り返ってみたい。

かめはめ波と超サイヤ人にあこがれた幼少期

平成のサブカルチャーといえば今や世界的な存在となった「ドラゴンボール」、特に89年からスタートした「Z」は外せないと思う。

 

記憶に残るのは人造人間編のOP。お馴染みのCHA-LA HEAD-CHA-LAにのせてコードがうねうねと伸びてくるシーンが印象的。

 

そんなドラゴンボールを見て自分も努力すればかめはめ波や舞空術が出来るんじゃないのかと思った。

気合を入れれば超サイヤ人にもなれるって思っているし今でも思っていたりする。

 

魔人ブウ編でビーデルと悟天が悟飯から舞空術を学ぶシーンを真似た人って多いよね?

 

しかし、アマプラやNetflixで再見してみるとテンポが悪いこと…。

これが世界中でウケたのだから驚き。面白い作品にテンポは関係ないってことかな…?

ゲームに出会い人生が狂う

初めて触れたゲーム機は90年発売のスーパーファミコン

スーパーマリオワールドに熱中した。コインを全部集めようと必死になったり。

 

とにかくゲームっていうものは凄かった。

一人でも熱中できる、友達とやればもっと面白い誰でも楽しめる夢のような機械だと思った。

 

「スーパーファミコンミニ」も出て買おうかな悩んでいたりする。マリオRPGやりたいな。

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怪獣王がスターだったあの頃

平成初期のカルチャーを語る上でドラゴンボールと並んで欠かせないのが89~95年に公開された「平成ゴジラ」だ。

 

平成ゴジラシリーズはとんでもない人気だった。 「シン・ゴジラ」も人気があったが平成ゴジラは数年に渡り人気を維持していたから凄い時代だった。

 

この頃の少年少女にとってゴジラは一大スターだった。

平成ゴジラを再見するとなんだか「特別」を感じる面倒くさい老害になったものだ…。

「ジェンダーレス」の始まりだったかもしれない『セーラームーン』

92年から漫画、アニメが始まった「美少女戦士セーラームーン」は男女問わず人気があった。

 

女の子向け作品と言われていたが男児も飛びついた作品。面白かったものね。

男女隔たりなく共通の話題として話せるコンテンツだった。

 

今思うと「ジェンダーレス」ってものはセーラームーンが始まりだったのかもしれない。

こんなに続くとは思わなかった「コナン」

まさかこれほどの長きにわたり続くとは思わなかった94年連載開始の「名探偵コナン」

 

まさか日本映画トップの興行収入を記録するシリーズになるとは…。

しかし、一体いつ終わるのだろう?

 

とうとう新一は平成のシャーロックホームズに成れずじまいだったね…。

多くの人生を変えたパソコン

Windows95の存在はあまりにも大きい

95年、初めてのIT。

これでパソコンに初めて触れた人も多いはず。

 

自分もそうで、ネットに接続することはこの時なかったがゲーム機とは全くちがう存在に胸が高鳴った。

ペイントでひたすら絵を描いてた記憶がある。

 

「ガガガリガリガリ」のHDを読みこむ音を聞くと懐かしくて涙が出そうになる。

エヴァの登場、それ以降の世界

95年エヴァ。ぶっちゃけ放送当時は見ておらず後追い。

 

でもこれ以前と後で日本のアニメーションの作り方は大きく変わったように思える。

深夜アニメや現代のネットアニメに繋がる要素が盛りだくさんのような。

 

平成を語る上でもアニメ史を語る上でもやっぱり外せない存在。

エヴァはなんだかんだ世界を変えた作品だと思う。

コギャルの衝撃

93年ぐらい?

いつの間にか街に出現していたコギャル。

なんだったんだろうかこれは。

 

偏見だがコギャルというと日焼けした肌を連想してしまう。

あれ?これってヤマンバだっけ?よくわからなくなってきたぞ。

たまごっちはある意味でスマホ並の存在だった

96年登場育成ゲーム機たまごっちが異様な人気になった。

白いたまごっちはステータス。超高級車を持ってるような存在になれた。

 

爆発的ヒットになった理由はよくわからない。シンプルだったのがよかったのかも。

 

当時の人気は凄まじく、歩きスマホならぬ歩きたまごっちしてた人もいたような記憶がある。

けつばん、バグ技の魅力

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https://ゲームまとめ情報.net/archives/38401

96年登場、リザードンとフシギバナが鎮座するパッケージのポケモン第一作。

瞬く間に世界的コンテンツへと成長したポケモン第一作はゲーム性の面白さもさることながら、バグが多かったことも魅力の一つだったと思う。

 

特定の操作をすればすぐにレベル100に出来て、アイテムを増殖させたり、ミュウを捕獲したりとね。

 

ネットもまだまだ普及していない時代に、日本中の子どもたちがバグ技のやりかたを知っていたのだから凄まじい時代でしたよ。

 

やっぱりけつばんの存在はでかい。

 

モー娘。時代、つんく♂の隆盛

97年モー娘。デビュー。

彼女たちは大ブームになり「LOVEマシーン」は老若男女問わないヒット作になった。

 

その後つんく♂プロデュースのハロプロアイドルが多数登場し、絶大な人気を誇りアジア圏にも波及。

 

当時はおっちゃんでも「LOVEマシーン」歌ってたんだったね。凄い時代だ。

アイドルと言えばモー娘。を連想するアラサー以降の方は多いかと。

セガサターン、シロ!

強烈なインパクトを誇ったSEGAのCM「せたが三四郎」は97年にデビュー

 

セガサターンの販売促進になったのかは分からないけど、このCMは毎回楽しみだった。

 

とうとう地球を救うため宇宙に飛び出す壮大なストーリーに「これは何のCMだったかな?」と疑問になることもあったけども…。

 

平成の終わりにせがた三四郎が復活したと聞いたときは嬉しさよりも驚愕の方が大きかった。

22年ぶりに復活した「せがた三四郎」が熱すぎる。体感80kgのセガサターンを背負い、コントローラー連打で血が出たCM裏話語る(電ファミニコゲーマー) - Yahoo!ニュース

当時はけつばんが欠番であることを理解していなかったので真面目にポケモンの名前かと思っていた。

三つの傑作、光の巨人再び

平成初となるウルトラシリーズが始まる。

96~99年にかけて放送された「ティガ」、「ダイナ」、「ガイア」の三つは思いで補正もあるかもしれないけど、どれも傑作だった。

 

特に「ティガ」最終三話の衝撃は大きく、物語のダークさには泣きそうになった。

 

ウルトラマンが負けるのか!?いや、それはあり得ない!

こんなことをテレビの前で願ったもの。

 

ダイナの最終回はあっけにとられ、ガイアでゾグの天使と悪魔の姿には畏怖した。

どの作品も終盤が衝撃の連続でとてつもなく面白かった。

 

ウルトラマンは永遠ですよ。

CDバブル、だんご三兄弟は耳に残る

99年、CDバブル時代になりレコード店に行く機会が増えた。

アニメやゲームの音楽もあるんだなあと漠然と眺めていた。でも子どもの小遣いではCDを買うことも難しかったのだけど。

 

そんな時代を象徴するかのように「NHKおかあさんといっしょ」から生まれた楽曲「だんご三兄弟」が異常な人気で品薄に。

 

CDが品薄になるって今では考えられないが、当時は入荷予約をしたほどだ。

なんでこんなに夢中になったんだか…。でも耳に残るから未だに即興で歌える。

呪われると思った「リング」

98年公開の「リング」ね。

 

本編を見ただけで呪われるんじゃないかと思うほど怖かった作品。

今でも進んで見直したいとは思わないトラウマ作。

 

「リング録画した」という友人のビデオテープは呪いのビデオにしか見えなかった。

スマブラは必須ソフトになった

99年発売「大乱闘スマッシュブラザーズ」はNINTENDO64の定番ソフトになった。

 

当時、友達と遊ぶときは「スマブラ」があれば何とかなった。

というかスマブラがなければ始まらなかった気がする。

 

略称は「スマブラ」派が多数だったが時々「大乱」派が居た。

デジモン派だったよ、この時は

99年に登場しポケモンの影響を大きく受けていたデジモン。

 

ポケモンと違ってかっこよさ路線だったデジモンにどハマりした。

当時はポケモンよりもデジモンの方が楽しみだった記憶がある。

デジモンアドベンチャーは不朽の名作。

 

triはまだ見てません。

 

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00年代 平成中期

IT時代が本格化。しかし日本は乗り遅れた感じがした。

世界中がハイテクに進むなか、日本の進化は鈍足だったと思う時代だった。

しかし、カルチャーの進化は止まらず世界に羽ばたくものも多かった時代。

 

成長は鈍かったかもしれないが、確かに進んでいた平成中期を振り返ろう。

 

イチロー、衝撃のメジャーデビュー

00年にアメリカメジャーリーグで衝撃デビューを果たしたイチロー。

 

彼の連続安打数記録は長年にわたって続き、レジェンドとして米国でも確固たる地位を気づいた。

 

イチローは野球を知らない人でも知る名前となり、日本では野球の代名詞になった。

アメリカでも彼の存在は大きい様子で目標にして成長した人もいたようだ。

 

野球界のレジェンド、イチローの存在はあまりにも大きすぎる。

遊戯王、カードゲームの一般化

コナミの遊戯王カード発売は99年。もっというとバンダイ版遊戯王カードもあったけども…。

00年代とは微妙にずれているが、本格的に流行したのは00年代になってからだと思う。

 

遊戯王以前に「マジック・ザ・ギャザリング」や「ポケモンカードゲーム」があったけど、カードゲームを決定的に大衆化させたのは「遊戯王」な気がする。

 

ポケモンカードの次に遊んだカードゲームが遊戯王だった。

当時は単純なルールだったけど、今は複雑になってしまったらしい。

 

シンクロ?エクシーズ?ペンデュラム?なんすかそれ?

PS2、任天堂の凋落

00年登場、当時のハイスペックゲーム機。

自分にとってゲーム機といえば任天堂の意識が強く、PSが出た時も64派だった。

しかし当時の最先端と話題性には勝てずPS2を購入。

 

だが子どもの気持ちが多かった自分はPS2であまり遊ばなかったりする。

GCも持ってたのでスマブラばっかりやってた記憶が…。

 

本格的に遊び始めたのはキングダムハーツぐらいかな。結構おそいな、おい。

イット革命に乗れなかったね日本

00年ぐらいにIT革命を「イット革命」と呼んだ偉い人がいるらしい。

 

結局日本はITに乗り遅れていつの間にか中国や韓国にも抜かれた気配すらある。

イット、それが見えたら終わりだったんかね。

写メール、ストラップはいまどこへ

01年ぐらい?

携帯電話(ケータイ)が普及し写メールが流行した。

 

写真をメール(LINEとか)で送ることは今では普通になったが、当時は遠方の親戚や友人へ近況を最速で知らせるための革新的ツールだった。

 

ケータイにデコレーションを施したり、ストラップを幾つもつけてストラップのほうが本体になっている人がいてと混沌とした時代だった。

 

着信時に光るストラップもあったよね。

今やストラップを着けることが稀有になった。

そして「写メ」の言葉もいつの間にか死語になった…。

 

でもデコレーションは生き残っている。

当時のケイタイよりもスマホの方が面積が大きいからデコしがいがあるのかも。

タマちゃんどこいった?

02年にアザラシが多摩川に出現。連日報道を賑わせ今でいう所のゆるキャラみたいな地位を得ていた。

 

なんで多摩川だったのか。次いで荒川にもタマちゃんと思われる個体が出てきた。怪獣かあんたは。

 

でもいつの間にか姿を消していた。

どこへいったのか…?

おもしろFLASHで人生が崩壊

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01年前後にには一般家庭にネットが普及し、とうとう我が家にもやってきた!

そして出会ってしまった「FLASH」

 

いつの間にかおもしろFLASHの虜になってしまったのですよ。

 

ネットに繋ぐととにかくFLASH、フラッシュ、FLASHばかり見ていた。

ドラサイトとかゴルゴの吉野家コピペとかね。

 

中にはゲームになっているものもあり、逆転裁判を丸パクリしたのもありましたね…。

これで逆転裁判知りました。

 

FLASHのおかげでネットにどっぷりとなってしまい、人生が崩壊したのです。

世界に一つだけの花

02年発表SMAPの名曲。

色々な場所で流れていた。

 

皆一人一人が違って良いという事を歌った先駆的な楽曲。

CDを買っていなくてももサビの部分だけはしっかりと歌えるなんて人も多いはず。

 

しかし、SMAPがあんなことになるとは…。

 

ORANGE RANGE、AIKO、大塚愛...音楽ブームは続く

CDバブルは00年代前半にも継続され、様々なミュージシャンがミリオンを繰り出した。

 

中でも個人的にORANGE RANGEはとてつもなく記憶に刻まれている。

こんな記事を書いていると懐かしくなった。

久々にあの頃の名曲を耳にしてみたい。

オタクへの見方が変わった、一冊の本

04年、ネット掲示板「2ちゃんねる」に投稿されたとあるオタクの恋愛話を一冊にまとめた「電車男」がヒット。

 

映画化、ドラマ化されどちらもヒットしてしまう。

日陰の存在だったオタクが陽の光を浴び、良くも悪くもオタクと言う存在に一石を投じる契機になった。

 

あれから15年、もはやオタクは一般化したのかも…?

芸人ブーム、特にピン芸人が流行

05年ぐらいには「はなわ」、「レイザーラモンHG」、「波田陽区」などのピン芸人が流行。

独特のリズムや決め台詞で一躍時の人に。

 

でも彼は全国的に長続きしなかったが一部の人はローカルで絶大な人気を誇っているらしい。

波田陽区は九州でレギュラー持ちだそうで。

へぇ~

視聴者投稿のムダ知識を紹介する「トリビアの泉」が大人気に。

03年からゴールデンタイムに昇格されて社会現象的な番組になった。

 

へぇボタンが発売されるなど、社会的なものになった。

99へぇが最高で満点の100へぇが出ることなく番組が終わった。

 

いつの間にか毎週見なくなってしまい自然消滅した感じがある。

野球界再編、ストライキ実行と新球団誕生

00年代半ばオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズのパ・リーグ二球団合併騒動、堀江貴文氏がバファローズ買収に名乗り出すなど野球界は混沌とした時代になった。

 

プロ野球史上初のストライキが発生し、東北楽天ゴールデンイーグルスが発足、セ・パ交流戦が開始され激動の時代だった。

エビちゃん、押切もえの二大巨頭

00年代半ばから後半は蛯原友里と押切もえがモデル界の二大巨頭に君臨していた時代だったと思う。

 

ファッション誌の表紙は彼女たちが飾ることも多く、男女問わずその存在を認知していた。

可愛い系はエビちゃん、キレイ系は押切もえみたいな感じですみわけされていた。

 

今でもお二方はお綺麗で驚くばかりです。

 

ふみ逃げ禁止

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参照:https://s.yimg.jp/images/bb/promo/cpn/history/img/articleImages/03/03.jpg

 

00年代初期から半ばにかけての個人ホームページ全盛期にはアクセス数カウンターが設置されるのが一般的だった。

キリバンというキリの良い数字を踏んだときは掲示板に一言挨拶していくのが慣例だった。

 

キリバンの人は踏み逃げ(挨拶しないこと)は禁止するサイトもあり、多くのサイトでは暗黙の了解として挨拶が行われていた。

 

このふみ逃げ禁止はモバゲーやmixiなどの閲覧記録(足跡)の残るサイトにも踏襲された。

「個人ページを覗いたんだから一言挨拶していってね」というのは何とも堅苦しいシステムだったと感じる。

 

おかげでTwitterを始めた時は「足跡残んないよね?」と無駄に心配したものですよ。

Wii、そしてリモコンは飛んだ

06年、SONYの後塵を拝していた任天堂がWiiを発売。体感型ゲーム機で話題となり爆発的ブームを巻き起こし業界トップに返り咲いた。

 

発売当初はリモコンのストラップ取り付け部分は弱く、力任せに振ると取り付け部が壊れリモコンが飛んでいく事件があった。

 

トワイライトプリンセスをプレイした時、リモコンから音が出た瞬間は感動しました。

キセキが新たな名曲に

08年、ドラマROOKIESの主題歌「キセキ」が大流行。

ドラマ自体もスポ根を彷彿とさせる熱さがあり面白かった。

 

未だに感動的なエピソードを紹介する番組や学生スポーツ特集などではこの曲が流れる。

 

GReeeeNの楽曲はほとんど知らないがこれは知ってるって人もいそう。

 

街中にハンターが出現した

08年、モンスターハンターポータブルシリーズ第二弾の拡張版「2ndG」が爆発的人気になった。

 

学校ではハンターであふれかえりこれをプレイしていなければ話についていけない、輪に入れないという状況だった。

 

訳も分からずプレイしている人もいたんじゃないんでしょうか。自分もそうでした。

いまだにモンハンの面白さを見いだせていなかったりする…。

 

アニメは深夜の時代へ

アニメといえば朝やゴールデンタイムに放送されるものだったが、その時間帯のアニメ枠は減少し、いつの間にかアニメは深夜に放送される時代になった。

 

90年代から深夜アニメは存在したが、放送数が異常なほど膨れ上がったのは05年以降だと感じる。

 

深夜アニメは様々な名作を生み自分の記憶に残る初めてのブームは「涼宮ハルヒ」だった。

以降、様々なブームを巻き起こしネットの普及で海外にまで波及するようになった。

 

深夜アニメのおかげでアニメというのは中高生や大人が見てもおかしくないものになった感も少しはある。

 

生き残るためには巨人と戦うしかない

09年、「進撃の巨人」が鮮烈なデビューを果たした。

 

衝撃的な展開、予想だにしない物語構成が多くの人々の度肝を抜き瞬く間に現代漫画のトップへと上り詰めた。

 

個人的には序盤は衝撃はあったが「それほどでも?」と感じつつ、アニメ化したので一応見てみたら「なんだめちゃくちゃ面白いじゃん…」と慌てて続刊を買いに行った。

 

読めば読むほど「この時代で無ければ生まれなかった」と感じてしまう要素に溢れた時代を象徴する作品。

 

どのような最後を迎えるのか。令和になっても目が離せそうにない。

 

10年代 平成後期

この時代は大災害が各地で発生し、気が晴れる時代ではなかった。

深夜アニメが絶頂を迎え、ネット配信サービスに移行しはじめた。

 

アニメーション分野では新たな才能が芽吹き始め、サブカルがより濃いものへとなっていった平成後期を振り返る。

 

ゆるキャラが定番化

00年代後期から始まるゆるキャラがブームを超えて文化として定着した。

 

「くまモン」や「ひこにゃん」らが土地を代表するキャラクターとなった。 その土地を知らなくてもキャラだけは知ってることも多いだろう。

 

しかし、粗製乱造も多く消えていくキャラも多い。日本のブームに乗っかれ精神はどうにかならないのか…。

 

アイドルの覇権はAKBへ

これまでアイドルと言えばハロプロだったが、00年代後半から頭角を現してきた秋元康プロデュースのAKBが10年代に入ると覇権を握るに至った。

 

その後乃木坂や欅坂などが生まれ、アイドルの中心はこちらに移動した。

色々とあるけど、人気は本物だと思う。

地デジ化はあっさりだった

11年には東日本大震災があり時期的に不可能だと思われていた地デジ化があっさりと行わた。

 

特に大きな問題もなくすんなりと…。

 

4K放送が控えているけど、こっちはどうなることやら…。

ありのままで

14年「アナと雪の女王」が日本で歴史的なヒット作に。

アメリカディズニーの作品だが、10年代の日本カルチャーを語る上では欠かせない存在になったと思う。

 

劇中歌の「ありのままで」は未だ耳に残っている。

なぜこれほどヒットしたんだろう…。

ドローンに乗り遅れた日本

10年代の象徴と言えばドローン。

様々な事件を起こしてしまい規制される存在になった。

 

おかげで日本はドローン産業に遅れを取ってしまい、中国企業の方が有名になった。

00年代から日本の技術的な遅れは否めなかったが、ドローンは決定的なものになってしまった。

 

ドローンはもっと普及していいと思うのだけど…。

「シン」の言葉が輝いた2016年

16年は「新海誠」、「シン・ゴジラ」と「シン(新)」の言葉が付く二つのコンテンツが人気を誇った。

 

12年ぶりの国産ゴジラは80億を超える興行収入を記録し新海監督の「君の名は。」は250億を超える歴史的ヒットとなった。

 

2016年はシンが輝いた。こんな時代は二度と来ない気がする。

 

映画は盛り上げてみる時代へ

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16年あたりから映画の特殊な上映スタイルとして「応援上映」が定着した。

 

映画をスポーツ観戦のように応援しながら見るのは諸外国では当たり前だが日本では特殊イベントとして成り立つのだから、日本の礼儀作法が見えてくる。

 

応援上映は結構楽しいんですよね。

リアルポケモントレーナー出現

16年、「ポケモンGO」の登場で街中にポケモントレーナーが出現。

 

この人気は一過性と思いきやいまだに持続されており、散歩と相性が良いためか年配の人にウケているのだから世の中どう動くのかわからないものです。

 

ポケモンの世界ってこんな感じなのかなと思えるゲーム。

ゲーム同様トレーナーって一か所に集まるんだね…。

レジェンド、去る

19年3月、野球界の生ける伝説イチローが引退した。

彼の存在なくして現代野球は語ることができないほどの存在だった。

 

今はただ「ありがとう」だけ伝えたい。

令和時代へ繋げたい

平成は停滞していたかもしれないが、世界に羽ばたくコンテンツが生まれ成長を感じさせる時代だった。

 

こんな素敵なカルチャーたち、中には風前の灯火になってしまった物もあるが生き残っている奴は令和時代にもつなげたい。

 

世界に誇る日本のカルチャーを永遠に紡いでいきたいものだ。

 

アイキャッチ出典:https://twitter.com/JPNatArchives/status/685234750051758081