人間の悲しき欲望を描いた『ゲゲゲの鬼太郎』6期第40話がキツすぎた
ドラゴンボール超の流れから毎週欠かさず鑑賞してしまっている『ゲゲゲの鬼太郎』第6期。
社会問題や人間の性を描き度々話題となっている本作だが、19年1月20日に放送された第40話『終極の譚歌 さら小僧』が子ども向け作品とは思えないほどの現実性を見せつけてきた。
第6期はやはり人間を描いた物語なのだと痛感し、製作陣の生半可ではない覚悟に感服した。
ネタバレを含みます。
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かつてはブレークしたが今は売れない芸人に甘んじている「ビンボーイサム」はある夜河原で耳にした妖怪「さら小僧」が口ずさむフレーズにほれ込んでしまう。
それを盗み見事にリズムネタで再ブレークを果たし、鬼太郎にこれ以上歌うなと忠告を受けるが無視してしまう。
目前に出現したさら小僧に一度は「二度と披露しない」と約束を取り付けるが反故にしてしまう。約束を破ったことに激怒したさら小僧はイサムを捕えてしまった。
しかし、その日の彼はお笑いグランプリ決勝を控えていた。
『ゲゲゲの鬼太郎』第40話いかがでしたか?
— 「ゲゲゲの鬼太郎」(第6期)公式 (@kitaroanime50th) 2019年1月20日
第6期鬼太郎を象徴するようなお話であったかと思います。
脚本を担当いただいた伊達さんは本物の芸人( @otonanocafe)でらっしゃいます。短い尺の中でも芸人の知られざる苦悩が感じられる気がしますね。
次回もお楽しみに(TA高見) #ゲゲゲの鬼太郎 pic.twitter.com/wbUq1Y7xjZ
…というお話。ゲゲゲの鬼太郎第6期は予てから現代社会を反映した物語が話題となっていた。ユーチューバーの登場、ブラック企業問題、記憶に新しい西洋妖怪編の冒頭でも難民問題が描かれ子ども向け作品らしからぬ社会派の物語を見せつけてきた。
そして、今回は社会派ではなく”人”を描いた。一度はブレークしたものの今ではすっかり落ちぶれてしまい売れない芸人に甘んじているビンボーイサム。彼が再起を賭けるために手を出したのは妖怪の歌を盗むという禁じ手だった。
おかげで彼は再び脚光を浴びテレビに引っ張りだことなる。しかし、それが原因でさら小僧の怒りを買うことに。鬼太郎の忠告やさら小僧の激怒で一度は歌を封印するが世間からは歌を求められてしまう。
新ネタも拒絶され、自分にはリズムネタしかないと追い込まれる。そして、歌を再び披露してしまう。 求められている物を披露しなければならない強迫的観念は時に約束をも反故にしてしまうことを描いた。
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今回の話で光ったのはねずみ男のセリフだ。ねずみ男はイサムを食い物にしようと、歌の利用をさら小僧に口利きするという。しかしさら小僧は絶対に認めず、イサムとともに彼を捕えてしまう。軟禁された場でねずみ男はイサムに語り掛けるのだ。
「本当に家族を想っているのなら食えない芸人なんかやめているはず。結局お前は自分のことしか考えていない」と。
イサムには妻子がいた。妻子はイサム思いであり鬼太郎に捜索の依頼を出した。そして鬼太郎はイサムを助けるがイサムはお笑いグランプリ決勝だけは歌を使わせてほしいという。
あまりにも業が深い。さら小僧の歌なら優勝も間違いがないと叫ばれている。しかし、歌を再び疲労すれば今度こそ命はないかもしれない。そんな葛藤を経て、彼は決勝に向けたネタ作りを行う。しかし、彼のネタは家族にすら受けない。
だが父を想う娘は笑えないネタに笑う。娘のいじらしい様に彼はは歌の封印を決意。
辛い形だが家族の愛が描かれる。
決勝でネタを披露するが全くウケず、追い込まれた彼は歌を披露してしまいさら小僧が激怒した場面で物語が終わってしまう。
普通の作品ならばネタがウケずに敗退しても「家族がいる」「芸人をやめる」といったオチになり、家族愛などといった希望へと収束していただろう。
しかし、鬼太郎にはそれがない。人間の欲望を恐ろしいほど現実的に描いてしまった。家族よりも栄光を選んだ男の凄まじき業の深さと破滅へと向かう締め方。
これが子ども向け作品というのだから第6期鬼太郎は本当に侮れない。
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どことなく「笑ゥせぇるすまん」を連想させるバッドエンドだ。喪黒福造が出てきそうな雰囲気。
今回の鬼太郎は人を積極的に助けるわけでもなく、ただ忠告するにとどまるというのが非常に良い。無理に手を差し伸べては鬼太郎にイサムを助ける義務が生じてしまうだろう。
忠告にとどめることがイサムの業を更に深めていると言える。
同時に鬼太郎の妖怪っぽさも存分に発揮され言いようのない湿っぽい恐怖感が倍増している。
そんな鬼太郎やねずみ男の立ち回りが人間の欲望がどれほど卑しいものであるかを痛いほどにさらけ出してしまった。視聴していて自分の胸が針でつつかれているような痛みに苛まれた人もいただろう。
イサムのように家族を裏切ることはなくても、多くの人間はどこかで欲望の方を選択してしまったことがあるだろう。
人間の欲望の罪深さを妖怪を絡めることで描いた。
視聴中「ああ、こいつは歌をやるんだろうな」と感じ取れてしまい「やめろ、絶対に歌うな」と祈ってしまうほどだった。
しかし、彼は歌ってしまう。予想通りの展開だがあまりにもキツい。分かっていても人が破滅していく様を見せられるのは辛いものがある。
真に恐ろしいのは妖怪ではなく人間だという普遍的価値観へと落とし込まれたオチだったが、今回ばかりはそれを納得するしかない。
妖怪を超えた妖怪は人間だ。
そして他人の物をパクってしまうと罰が下るという教育的メッセージも込められている。
子どもにも寄添った素晴らしい内容だ。日曜日の朝に相応しい仕上がりである。
社会や人間を描かせると恐ろしいほどに現実を炙り出してしまうゲゲゲの鬼太郎第6期。今後もますます目が離せない。