『アリータ:バトル・エンジェル』感想 CGらしさを逆手に取った魅惑の愛の物語
木城ゆきとの漫画『銃夢(ガンム)』をハリウッドが実写化。タイタニックやアバターで知られる巨匠ジェームズ・キャメロンが長年温め続けていた企画をロバート・ロドリゲスの監督で遂に実現。
あのキャメロンが製作総指揮でロドリゲスが日本の漫画を監督!?これはどうなるんだ!
…と発表時は興奮したものの実は原作を読んだことが無く名前しか知らない。
読もうと考えているうちに実写版が公開されてしまい、未読のまま鑑賞した。
ネタバレを含みます。
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CGをふんだんに盛り込んでいる。スターウォーズやアバターを思わせるような独特な世界観が魅力だが、予告の時点ではアリータのCGに違和感を覚えたのも事実だ。
そんなCGの違和感をこの作品は巧みに利用していた。
300年前の没落戦争により人は空中都市と地上に分断された。空中都市”ザレム”の詳細は明らかにされないものの、地上よりははるかに楽園というらしい。
ザレムは豪華絢爛な高層ビルが立ち並び、それは裕福そうな世界に見える。
しかし、地上都市”アイアンシティ(鉄くずの街)”は様々な人々が暮らしているが、治安は最悪で穢れている。
ザレムは幸福で地上は不幸という説明をセリフではなくヴィジュアルで示す。
ザレムのゴミが地上に落ちてくるのを見せられると、否応なしに地上の無法さが読み取れてしまい、映画なのに悪臭が鼻を刺激そうなほどの説得力に満ちていた。
そんな地上に暮らす医師のイドがゴミの山で脳が無傷な半壊したサイボーグを見つける。
それを修復し少女として生まれ変わった彼女に”アリータ”と名付け共同生活を始めるという筋書きだ。
サイボーグと人間の生活。SFの定番と言える設定だが、この作品はキャラクターの内面を深く描いている。
サイボーグ女性を殺害する殺人鬼を気にしすぎるあまりアリータを束縛し自立を阻もうとするイド医師。そんなイドに反発し自立しようと奔走しボーイフレンドのヒューゴと共に行動するアリータ。
サイボーグと人間ではあるが、青春を思わせる父と娘、そして恋の物語が展開される。
人間とサイボーグに絆は生まれるのか。そんな使い古された陳腐なテーマは本作の肝ではない。
絆はすでに存在しているものとして描かれている。
本作は絆を超えた”愛”を描いた。
サイボーグと人間に父子愛や恋愛感情が生まれるのか。そんな問いかけをじわりと見せてくる。
だがアリータはCGで描かれている。アリータらサイボーグと人間には明らかな差が存在していた。
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CGはまだCGらしさが残っている。
しかし、本編ではCGの出来栄えは気にならない。
それどころかか僅かに残ったCGらしさがアリータがサイボーグであることを強調しているように思えた。
作中で多数登場するサイボーグ達もどこかにCGらしさが残っており、人間とサイボーグの差異を明確に表現していた。
これは意図的なものなのかは分からないが、CGの違和感を演出として上手く利用できていると感じた。
だがそもCGらしさも物語が進むにつれて違和感を感じなくなる。
人間以上に多種多様な表情を見せるアリータをサイボーグではなく人間として受け入れられるようになるからだ。
ヒューゴとの恋、そして初めてのキス。
そんな王道な場面ですらアリータはCGである。それなのに、人間同士の恋にしか見えないのだ。
あまりにも人間らしく、時には人間を超えたような激情さえ見せるアリータにいつの間にか夢中になっていた。
CGはリアルであればあるほど説得力が増す。
近年の洋画、邦画問わずリアルなCGを追及している。
リアルであるほど観客はその世界に没入でき、作品の品質を高めることが出来るはずなのだ。
アリータのCGは一級品だ。だがサイボーグのCGはどこかでCGの残滓が残っている。
この作品はCGでやる意義がある作品だ。
CGであることが説得力を異常なまでに増している。
本作は映画が新時代に到達したと知らせているのだろうか。
CG大作。そんな一言では言い表せない魅力に詰まった愛の物語だ。
原作が読みたい、そう思わせる力強さがある。