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『ゲゲゲの鬼太郎』第六期感想 教育性と説教性を見事に融合させた寓話奇譚

ゲゲゲの鬼太郎 (TVサイズ)


ねこ娘の八頭身美女化や退廃的な作風が話題の『ゲゲゲの鬼太郎』第六期。
原作や以前のシリーズは未鑑賞で臨んだ本作ですがこれがかなり面白く、現代の寓話ともいうべき仕上がりになっていました。

第三話までの雑感を記しておこうかと思います。

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幾度となくシリーズ化されてきた鬼太郎が2018年になって再びアニメ化。2018年の現代を舞台にし、スマホなどのデジタル機器やSNSなども登場。そこに妖怪が現れるというちょっと不可思議な雰囲気を醸しています。


現在は妖怪ウォッチなどもあり現実世界では妖怪の存在が以前よりも浸透していますが、物語の世界では妖怪なんてありえないと一蹴されています。そんな見える物しか信じない人々が暮らす世界で鬼太郎たちが活躍。現実と空想で逆転状況が起きるという珍妙な事態が発生中。


朝の9時からこんな子どもが怖がりそうな色彩や演出は以前に少しだけ見たことのある墓場鬼太郎と似た雰囲気を彩っていて、妖怪と言う存在の怪しさをより際立たせているように感じます。


三話までのあらすじは以下のようになっています。
第一話では話題のYoutuberを思わせる動画配信者が登場し、彼の過激な行動のおかげで妖怪が目覚めてしまい多くの人々を樹木に変えてしまうというお話。


第二話では敵妖怪の見上げ入道が一度に5万近くの人間を消し去り大騒動を起こす。


第三話では環境破壊を続ける人間を葬ろうとする妖怪が出現。人間を排除しようとする妖怪たちと鬼太郎との戦いが描かれます。


三話までを見て今期の鬼太郎は社会問題にもかなり深いところまで切り込み、ただの妖怪アニメでは済まさない作りになっているんだと感じました。


第一話では過激な言動で妖怪に襲われ樹木に変えられてしまう。妖怪の封印を解いたのは動画配信者のせいなのに、彼一人の行いが大多数の人々に影響を与えてしまう。
想定されている主な視聴者層は子どもでしょう。

 

子どもたちに悪いことをすると妖怪が襲ってくる。つまり悪事を働くと痛い目に合うと言うことを示しているのです。そのしっぺ返しが自分だけではなく他人にも及ぶこともあるという事を表現したのが第一話。
最初から教育性と説教性を見事に融合させ、子どもたちを怖がらせつつも正しい方向へと導こうとする製作陣の姿勢が見て取れます。


第二話では見上げ入道が5万近くの人間を消し去り大騒動を起こし、鬼太郎と対峙。鬼太郎は「みんなを返せ」と言うが見上げ入道は「毎年8万人もの人が行方不明になっているのに騒ぎにならない。人は他人の事を気にしない」と切り返し日本の社会問題にまで踏み込んでくる。ちょっと子ども向けアニメには不相応な凄まじい発言ですよね。


現実世界でも行方不明者のニュースが出ても特に気に留めることはほとんどありません。不明者が子どもであれば「心配だな」と思うこともあるが、その感情も次第に薄れていきます。
現実世界はまさに見上げ入道の言う通り。当事者にならなければことの重大性に気付かないのです


他人のことに気を配れ。行方不明は他人事ではなく自分がそうなるかもしれないと言うことを伝えようとしているのが第二話の本質なのでは考えます。
単純な妖怪退治に社会問題を端的に切り込んでいるのが凄い。


第三話では環境破壊により妖怪が目覚め人間を排除しようと動き始める。異なるものを排除しようとする妖怪たちに対し鬼太郎は「自分と異なるものを認めない奴は大嫌いだ」と言い放ちます。
これが今回の鬼太郎が持つ思想信条なんでしょうね。この発言は未だに根深く残る差別意識と環境破壊に対する問題的のように思えたのです。


ゲゲゲの鬼太郎』第六期は明るさを持つ作風なら説教臭さが鼻につくことになったはず。今期の退廃的な作風があからさまな説教性を薄めているように感じ取れました。この退廃さこそが第六期の魅力を際立たせている最大の要因なのでは。


鬼太郎第六期は子どもたちに悪事を働くことなかれ、自然を大切にし他人に気を配れということを伝えようとしている気がします。


まさに教育的なアニメ。同時にくどさのない説教性も兼ね備えており、両方が見事に融合していてまさに現代の寓話奇譚になっています。
製作陣の本気で子どもたちに何かを伝えようとしているのだなと実感できて感心してしまいます。


今後の物語がどのような展開を迎えるのか非常に気になりつつ視聴を続けようと思います。