『ウトヤ島、7月22日』感想 代わり映えしない映像が生む極限までの真実味
2011年に発生したノルウェー連続テロ事件を描いた作品。
このテロは単独犯としては世界最大の短時間殺人事件となってしまった。
事件と同じ72分間をワンカットで描いている。
あの時何が起きたのか、観客は地獄ですら生易しい現実へと落とし込まれるのだ。
ネタバレを含みます。
(※本作はワンカットで撮影されているため画面が非常に揺れる。人によっては酔うかもしれないので注意が必要)
ノルウェーの首都オスロで爆破事件が発生。ほどなくしてオスロからそう遠くはないウトヤ島で開催されていたノルウェー労働党青年部主催のキャンプで一人の男が銃を乱射しはじめる。
未来に希望を抱き、国の未来を語り合う。中には恋が生まれるかもと邪な考えを持った者もいた。そんなどこにでもいる青年たちのキャンプは突如として恐怖の渦に叩き落され77人が犠牲となった。
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77人が犠牲となったウトヤ島銃撃事件で何が起きたのかを描いているのだが、これが映画作品としては非常に批評しずらいものだった。
事件が始まってから終わるまでの72分間をリアルタイムかつワンカットで描いている。
しかし、その殆どの場面が物陰に隠れるだけなのだ。
突然起きた銃撃に何もできない青年たちはただじっと身を潜め惨劇が終わるのを待つしかない。
時折隠れる場所を変えるために動きを見せる。そういった単調な動きしかなく、物語として劇的な展開を見せることもほとんどない。
体感時間もとてつもなく長く感じ鑑賞後は疲労感に苛まれた。
本作は映画としては非常に批評が難しい。
扱っている題材故に、つまらないと一蹴することが出来ないからだ。
ワンカットで演出されているが、その撮影技術も高いとは思えなかった。
怪獣空逃げ惑う描いた「クローバーフィールド」や日本で旋風を巻き起こした「カメラを止めるな!」のほうがワンカット技術は高い様に思える。
だがこの作品は突如テロに巻き込まれた青年たちを描いている。
そこに留意すると本作の撮影技術、単調な展開が劇的にリアルなものへと昇華されてしまうのだ。
物語がキャンプ参加者の少女カヤをひたすらカメラで追い続けているのも、ドキュメンタリーのようなリアルさを演出していると感じた。
犯人の姿も分からない。単独なのか複数なのか何が起きたのかすらも分からぬまま逃げ惑う姿。
観客も何が起きているのか分からないまま物語を見続けるしかない。
物陰に隠れ犯人をやり過ごす、時には妹を探しに行くなど緊迫した場面をみせる。
技術の低いワンカットがまるで事件に偶然居合わせた素人が撮影した映像のように見えてくる。
カヤの姿は最後まで映し出されているが、作品の視点はカヤから見た世界だ。
妹を探し、時には身動きが取れない少年に行動を促す。
そんな少女の姿を克明に映し出している。視点が移動することは最後以外に無い。
終始固定された視点が本作を虚構から現実へと昇華させていると感じた。
ワンカット撮影が事件は確かに存在したのだと伝えてくる。
上映時間に対してあまりにも長く感じる体感時間も意図的なものだったのではと思える。
あの事件に巻き込まれた人々は72分間がこれまで生きてきた時間以上に長いものに感じたはずだ。
地獄と呼ぶことすら生易しい惨劇を終わるまでの間がどれほど長いものだったかは我々には想像することが出来ない。
あの時までは平和だった。それが突然消える恐怖を追体験させる目的が本作にはある。
だからこそ一人の少女を追いかけることだけを選び、体感時間を長く感じさせたのかもしれない。
世間一般的なイメージの「映画作品」としては娯楽性は無く代わり映えのしない単調な場面が続くので映画作品としては褒められたものではない。
だが何が起きたのかを知る手立てとしては貴重な作品だ。
単調さと冗長さががこの作品に極限のリアリズムを与えている。
鑑賞時に感じる様々な感情は全て監督の意図通りだったのではないのか。
そう感じるほどに、本作は強烈なメッセージ性に溢れている。
犯人は移民からノルウェーを守るために実行したと語る。
日本でもヘイト問題や、アメリカ・メキシコ間での壁建設問題など多様性を認めない動きがある。
このような時代だからこそこの作品を見る必要がある。そして、ここから現実世界が如何なる方向へ動こうとしているのか考えなければならない。