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改めて鑑賞した実写『鋼の錬金術師』はやっぱりハガレンだったからこそ辛い

鋼の錬金術師 DVD


2017年12月に公開され様々な波紋を呼んだ実写版『鋼の錬金術師
ブルーレイの発売も始まったので初見時の渦巻いた想いともう一度向き合うべき鑑賞したが、やっぱり悔しいほどに肝がハガレンだった。だからこそ辛い。そんな作品を今更ながらにレビューしていく。

なぜ世界観をそのままにしたのか?


母親を生き返らせるために禁忌とされる人体錬成を行い兄のエドは右腕と左足、弟のアルは肉体の全てを失い鎧の姿になった。兄弟は肉体を取り戻すために強大な力を持つ賢者の石を探し求める。その旅の裏では人造人間(ホムンクルス)の暗躍などがあり、兄弟の旅は混迷を極めていく。
と一応原作に沿ったあらすじ。


私自身原作の大ファンで何度も読み返しアニメ版も旧作新作共に全話鑑賞しています。だからこそ実写化すると聞いたときには本当に不安で胸が張り裂けそうになった。


原作は産業革命期のヨーロッパ的世界観で欧米人の見た目をしたキャラクターで占められている。
しかし実写版ではキャラを日本人が演じるという頓珍漢な事態に。

 

原作コミックスでもおまけコーナーでネタ的に実写化されるならどの俳優が良い?と話題に出たときも全て日本人俳優の名が挙げられていましたが、まさか本当に日本人が演じてしまうとは…。

 

名前が欧米風なのにキャラは日本人が演じるちぐはぐさはコスプレ大会を見ているかのような居心地の悪さを覚える。冷や汗がでそう。

 

欧米のキャラを日本人が演じる前例はテルマエロマエが存在しているがあれはコメディ作品であり一応は外国人風にも見える濃い顔の俳優陣を揃えていた。

 

しかし実写ハガレンはごく普通の日本人を揃えてしまったのでキャラにハガレンっぽさを感じない。
街並みもヨーロッパなのでやはり金をかけたコスプレ大会にしか見えず違和感が付きまとったままになる。

 

なぜ世界観はそのままにしたのか。これなら原作の人体錬成と言う禁忌を犯した兄弟が肉体を取り戻すために旅に出るという部分はそのままで文明開化時の東洋的な世界観へ大胆に変更しても良かったはず。そうすれば実写は実写で割り切って鑑賞することができたと思う。

 

それなのに原作を再現しようとしているからアニメや原作のイメージを引きずってしまい違和感を拭えないまま物語が進む悪夢の状況に。マジでどうにかならなかったの。

稚拙な演出とCG


問題はオール日本人キャストだけではなく稚拙な演出にもある。
画作りは単調で日本映画の悪いところだけを抜き取ったような激しい感情の発露が痛い。別に感情を出すのが悪いんじゃないんだけど、そこでこんなに感情出す必要ある?という所もあり見ていて小恥ずかしくなるレベル。やっぱ期待通りダメな日本映画じゃん、と妙な高揚感を覚える始末。なんだこれ。

 

CGも落差が激しい。真理の扉の場面は中々に気合が入っていてここだけは何度も見れるのだが、他の部分はCGが酷い部分もあって一貫性がない様に思えた。気合は感じるけどなんでこうクオリティを維持できてないんだろうか。不思議だ。

だが物語の肝はハガレン


だけど実写版をボロクソに叩けないのは物語の肝はハガレンだったからだ。
ハガレンらしい兄弟愛や人間ドラマはしっかりとありキャラは全員日本人が演じているけど、ちゃんと原作のキャラに寄添おうとする姿勢が見て取れたしその点も評価出来る。

 

ハガレンのテーマである命の大切さも存在していたしハガレンを実写化したい情熱はひしひしと伝わってきた。

 

だからこそ悔しい。なぜこんなことになったのか。
コスプレ大会にしか見えないキャラクター達、学芸会かと思うような演出と出来の落差が激しいCG…。文句を言い始めるときりがないけれども、やっぱり肝はハガレンなのだ。

 

製作陣はハガレンに本気なんだと言うことが分かって思いっきり叩きたくてもそこまで叩けない。

 

まとめると「まあダメ映画だよね、でもハガレンしてたよ」そんな矛盾を抱えた感想を抱く映画。

 

本当にどうしてこうなってしまったのか。俳優陣がまだ欧米人なら許容できたはず。

 

これは確かにハガレンだ。だからこそ辛く悔しい作品になってしまっている。